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TBです!!
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私が過去に行ったスピーチイベントでの原稿です。
テーマ「色んな意味で深い自己紹介」
以下、原稿
お疲れ様です。
不慣れな点やお聞き苦しい点もあるかと思いますが、皆さんが退屈しないように努力しますのでよろしくお願いします。
堅苦しく長々と話をしても面白くないと思いますので、みなさん肩肘をつきながらでも結構です、聞きやすい姿勢で聞いてください。
そのかわり、私も話しやすいように話を進めます。
まあ、先輩の話を肩肘つきながら聞く後輩なんか居ないと思いますが・・・。
さて、前置きはこのくらいにして、本題に入っていきたいと思います。
まず、テーマについて、「いろんな意味で深い自己紹介」ということで、深い自己紹介って何だろう?とか
わざわざイベントで話すことが自己紹介かよ、とか
いろいろ思うことはあるかと思いますが、お構いなく話を続けていきたいと思います。
ではまず軽く自己紹介をさせてもらいます。出身は鹿児島県のとある田舎で、その田舎の工業高校を卒業しました。
物心つく前から野球をしていたみたいで、中学までは野球を続けてきました。
高校では理由は追々話しますが、バドミントン部に入部しました。
まあ、女子がいる部活に憧れがなかったと言えば嘘になりますね。
そんなこんなでスポーツが趣味のひとつです。
けど運動神経は良い方ではないですね、足は速かったですけど。
どのくらい速いかですけど、興味ないですよね?(50mが6.2秒とか)。
話を戻しますけど、趣味は他にもあって車(いじったり、走ったり)とか買い物(洋服)、漫画、読書、ゲームとかパッと思いつくのはこんな感じです。
それと実は仮面ライダーが好きです。
今、日曜の朝8時に放送しているあれです。
ここまで普通に自己紹介をしてきてやっとなんか深そうなワードが出てきましたね。
はい、仮面ライダーについて話をしていきたいと思います。
興味なくてもお構いなく話を続けますね。
まず、どのくらい仮面ライダーを愛しているかですけど、とりあえず毎週欠かさず見ます。
時間が合わなければ録画して見ます。
DVDをレンタルして一度見たものももう一度見たりもします。
平成に入ってからの仮面ライダーシリーズでは第2作の「仮面ライダーアギト」以降は劇場版もあるのですがそれも全て見ています。
社会人になってからは金銭面で余裕が出てきたので映画館に足を運ぶこともあります。
もちろん周りはちびっ子だらけです。
恥ずかしくはありません。
元々、1人で映画館に行くことに抵抗はないので。
そういう問題ではないですかね・・・。
さすがにおもちゃを購入したりすることはありませんが、仮面ライダー愛しています。
皆さんもDVDをレンタルしてみてはいかがでしょうか?
おすすめは「仮面ライダー555」(数字の5を三つ並べてファイズ)です。
さて、自己紹介から入り、趣味や仮面ライダーについて話を進めてきましたが、ある時か
ら私は趣味や好きなことに熱中することができなくなりました。
おととし(2014年)の梅雨の頃だと思います。
何故か?
今日はそのことについて話をしたいと思います。
まあこのまま仮面ライダーの話を続けても良かったのですけどね。
ここからはとても深くて暗くて重い話です。
まず、皆さんにひとつ告白をしなければなりません。
私は今でこそ組合青年部の支部スタッフとして楽しく過ごし、こうして皆さんの前で明るく話をしていますが、実は「うつ病」経験者です。
そして、今まで誰にも話してきませんでしたが「自殺未遂」経験者です。
冗談ではありません。
一気に重たい空気になりましたね・・・。
皆さんは「うつ病」についてどんなイメージがあるでしょうか?
どれだけのことを知っているでしょうか?
症状や病気になる経緯は人それぞれだと思います。
私がこれから話をすることはあくまで私の経験した話です。
同じ病気を経験している人が全て同じ気持ち、同じ症状ではない、ということは頭に入れていただければと思います。
「うつ病」について話をするに当たって、私のことをもっと知ってもらいたいと思うので、話を自己紹介からやり直します。
深い自己紹介というやつです。
中学時代から話をしていきたいと思います。
先ほど話をしましたが、部活はずっと続けてきた野球部に入りました。
部活の時間はもちろん野球、休み時間も野球、帰宅しても野球、とにかく野球漬けの毎日でした。
でも勉強もそれなりにしていました。
正直に言って、成績は良い方(田舎の公立中学で笑)だったと思います。
中学3年になって進路を考えるようになりました。
それはもう長い間、決定をしなければならないギリギリまで考えました。
単純に言うと進学校に行くか、工業高校に行くかです。
今はどうか分かりませんが、当時は頭の良いやつは進学校に行って、そうじゃないやつは工業高校に行くといういかにも田舎っぽい風潮がありました。
だから、
「〇〇(私の苗字)は進学校に行くんでしょ?何悩んでんの?進学校でいいじゃんー」
ってよく言われていました。
一体何をそんなに考えていたのかというとそれぞれの高校の先のことです。
真面目でしょ?
考えぬいた結果、工業高校に進むことを決めました。
同時に、就職先として△△(今勤めている会社名)を目指すことを決めました。
理由は色々ありますが、進学校に進んでそれなりの成績で大学を目指すよりも工業高校でトップを取り続けて△△を目指す方が良いと思えたからです。
高校入試はトップで合格しました。
そうです、自慢です。
と言っても田舎の工業高校ですからたいしたことではないと思います。
高校3年間は科で1番なり2番をとり続けました。
このように話すと輝かしい過去のように聞こえるかも知れませんが、そうでもないです。
辛いこともありました。
部活は先ほど話したようにバドミントン部に入りました。
理由は色々ありますが、高校野球はハードです。
目標を△△に決めたので勉強に集中したい気持ちがあり、中途半端な覚悟でやるものではないと思ったことが大きな理由です。
中学までの野球仲間は裏切られたように感じたと思います。
中学3年の頃は進学校に進む可能性もあったので塾に通っていました。
塾の仲間に工業高校に進むと告げたとき、工業高校に逃げたと言われました。
勉強に当てる時間が多くなったので、中学からの友達とは付き合いが悪くなり仲間外れにされることが増えました。
今、話すことができないような辛いこともありましたが、私には△△に行くという明確な目標があったのでどんなことがあっても目標に向かって頑張りました。
△△に合格したときは猛烈な達成感があり、自信に満ち溢れた自分がいました。
こんなやつが「うつ病」になるなんて思えないですよね?
自分自身も想像していなかったですし、家族や友人など周りの人もみんなそうだったと思います。
けれど、「うつ病」は誰しもが罹る可能性のある病気だと思います。
まさかこの人が、と思うような人が罹る病気だと私は思います。
今、思えば高校時代に自信を手に入れたことは私が「うつ病」になったひとつの要因のように思えます。
△△に入社し、研修を終え、本格的に働き始めました。
順風満帆な日々でした。
新しいことを覚えることが楽しく、困難なことにも積極的に取組み、毎日仕事に行くことは苦ではありませんでした。
むしろ少し楽しみだったぐらいです。
ですが、ある時リズムが狂い始めます。
入社4年目でした。
思い当たる原因はたくさんあります。
たくさんのことが一気に重なったことが大きな原因です。
全てを話すと長くなるので話しませんが、原因のひとつに単純に忙しくなったことがあります。
それにより、考えていること、悩んでいることが整理できなくなってきました。
自分で言うのはどうかと思いますが私は真面目な人間だと思います。
真面目な私はこういう状況で、プライベートな時間、休んでもいい時間を削り始めます。
なぜなら自信があったからです。
「俺なら大丈夫だ。まだまだできる。」
と自分を追い込みます。
私は配属されてから元気を取り柄にやってきたつもりです。
どんなときでも明るくいようという心構えでいました。
そんな私がある時同僚から
「どうした?最近元気無いんじゃない?大丈夫か?」
と言われます。
焦りました。
自分では辛いときでも明るく平常心でいたつもりだったからです。
その時初めて自分に元気が無いことに気付きました。
そして思います「このままではヤバい」と。
徐々に追い込まれてきた私ですが、誰にも相談したりはしませんでした。
周りに心配をかけたくないとかではありません。
ここまできても、「まだやれる」と辛いことをごまかしました。
しかし、体は正直でした。
ある日、熱があるわけでもないのに気持ちが悪くなり吐いてしまいました。
そのときは胃腸炎かなんかだろうと思っていましたが、だんだんと回数が多くなってきたので、会社の保健師さんに相談しました。
保健師さんから色々なことを聞かれました。
体調や心境、環境についてだったと思います。
私は自分の事を話しながら何故か涙が出てきそうになりました。
保健師さんが言いました、
「全部話して大丈夫だよ。我慢しなくていいんだよ。泣いてもいいんだよ。」と。
その言葉を聞いてからはよく覚えていません。
ただ崩れるように泣いたように思います。
保健師さんが上司に話をしてくれたのでしょう、上司と病院に行くことになりました。
そして病院の先生から「うつ病」の診断を受け、会社を長期で休み、実家で休養することになりました。
本当に辛かったのはそれからでした。
1番きつかったのは両親に自分が「うつ病」だと伝えることでした。
なんだかんだあっても1番心配をかけたくないのが両親です。
電話口で、なかなか言い出せず、泣きながら「うつ病になった。会社を休むことになって、帰って来るから」
と伝えました。
はっきりと覚えているのがその時に父さんが言ってくれた言葉です。
「泣かなくていい、何を悲しむことがある?お前が何か悪いことをしたのか?お前は何も
悪いことをした訳じゃないんだから、胸を張って堂々と帰って来い」と。
スッと気持ちが楽になったのを覚えています。
親というのは偉大ですね。
休んでいる期間の始めのうちは特に何をしていたということはありません。
何も気力が起きませんでした。
ただ、だらだらと過ごしました。
好きなテレビを見ても、趣味をしてみても集中できないし、楽しめないからです。
仕事を休んで申し訳ないとか、皆に迷惑をかけていないだろうかとか、そんなことばかり考えて不安になっていました。
ですが、病院の先生の勧めでランニングをするようになってからは少しずつ良くなったように思います。
走っている間は不安な気持ちになることもなく、走ることに集中できました。
ですが、走り終わると猛烈なだるさに襲われます。
運動不足だからではなくて、動きたくない体を無理やり動かしたからのように思います。
それでもランニングの効果があってか、だんだんと気持ちは楽になってきました。
本を読むようになったり、テレビに集中したり、何より日常に笑顔が戻ってきました。
順調に回復し、自分自身で「もう大丈夫」と思い復職を希望し、約一ヶ月半後に復職しました。
復職してからしばらくは短縮勤務で、15時30分に帰宅していました。
それを1週間ほど続け、通常勤務に戻りました。
ですが、以前ほど仕事に熱心に取り組むことはありませんでした。
そのギャップを不安に感じることもありましたが、あまり深く考えずにこのまま淡々と仕事を続けていれば徐々に自分のペースで仕事ができるようになるだろうと思っていました。
保健師さんや産業医の方もその考えが出来ていれば大丈夫と背中を押してくれました。
しかし、思うようにはいきませんでした。
休職していた分も頑張ろうと考えで焦ることもあれば、以前の自分と今の自分を比べてしまい、情けなくなり、自分を責めてしまうこともありました。
もう以前のように熱意を持って仕事もプライベートも取り組めないような気がしてなりませんでした。
ですが、このときは以前と違ってそれを自分だけで抱え込むことはしませんでした。
色んな人に気持ちを伝えたり、相談したりしていました。
しかし、気持ちが落ち着くことはありませんでした。
例えば、
「俺にもこんな辛いこと、辛い時期があった。けど乗り越えられたから、おまえも大丈夫だ。」と相談に乗ってくれた人が言ったとします。
あなたはどういう気持ちになりますか?
その人の辛かった経験談と自分の状況を比べて、この人よりは辛い状況にないから自分は大丈夫だ、と思うでしょうか?
辛い時期は必ず終わりが来る、いつかは必ず乗り越えられる、と前向きになれるでしょうか?
その時の私はそういう風には思えませんでした。
その人より辛い状況にないのに乗り越えようという気力が湧かない自分が情けなくなりました。
色んな人が心配してくれました。
声をかけてくれました。
ですが、その度に私は追い込まれていきました。
趣味をしても楽しくない。
ご飯を食べることも、お風呂に入ることも億劫で普通に生活するのが難しく感じました。
もちろん仕事なんて手につかない。
誰の声も届かない、暗い海の底に一人ぼっちでいる、そんな気分でした。
私は現状を悲観し、絶望しました。
普通に生活することが、生きていくことが辛くてしょうがなかったです。
ここで、人生を終える、その方がずっと楽なように思えました。
気持ちの良い話ではないので、細かいことは話しませんが、そういう行為をしようとした瞬間、している途中にフッと頭の中に浮かんできた感情があります。
申し訳ないという気持ちです。
家族や友人は自分がいなくなったらどんな気持ちになるだろう、今まで自分と係ってきた人たちにきっと迷惑をかけるだろう、申し訳ないな、と思いました。
私は生きることを諦めたその瞬間ですら他人のことを考えていました。
人に迷惑をかけることを避けました。
「あぁ、俺は死ぬこともできないのか」
とより情けない気持ちになりました。
その時会社は休みがちだったのですが、そのまま再度休職することになりました。
復職してからおよそ3ヶ月経った頃でした。
「うつ病」は治る病気だと思います。
けれど、治るのにはとても時間の必要な病気だと思います。
私は自分で希望して一度、復職しましたが、尚早でした。
不安な気持ちが焦りを生んでいました。
2回目の休職は1回目よりも長期間でした。
約3ヶ月休職しました。
不安で不安でしょうがなかったです。
何が、ということはありません。
ただ漠然としたものです。
考えないようにしてもどんどん不安な気持ちは湧いてきてしまい、胸が苦しかったです。
会社を休んで、実家で面倒をみてもらい、迷惑をかけてばかりいる、そんな気持ちでした。
1回目の休職の期間のようにランニングをすることもありませんでした。
1ヶ月近く、何も行動しませんでした。
休職期間も通院はしており、病院の先生に
「最近はどう過ごしている?」と聞かれました。
何もしていないといった返事をしたら先生が
「それで大丈夫。治そうと思う必要もない。無理に何かする必要はないから。そのうちしたいことも出てくる。したい時にしたいことをしたいようにすればいい」と言われました。
その時、私は軽い衝撃を受けました。
「何もしなくても大丈夫なんだ、病気を治そうとしなくていいんだ」と。
それからも特に何も行動しませんでしたが、気持ちは少し楽でした。
いつかしたいことが出来るのではと思えたからです。
そして本当にしたいことが見つかりました。
何も考える必要はなかったのです。
単純に、時間が解決してくれました。
最初に取り組んだのはnanoblockというものです。
LEGOをもっと細かくした
ものとイメージすればいいかと思います。
ある日お店で見つけて、これだ!と思いました。
昔から物作りが好きだった私は以前から興味はあったのですが、時間が無くて取り組むこ
とはありませんでした。
休職中でしたので絶好の機会でした。
nanoblockは細かいブロックを組み合わせていき、一つの作品をつくるものです。
次に取り組んだのがジグソーパズルです。
どちらもとても神経を使うので、取り組んでいる最中は夢中になれました。
不安な気持ちになることも、余計な考え事をすることもありませんでした。
どちらも難易度が高いものを選んでいたので、挫折もしました。
無理だと諦めて放置したこともありました。
けれどやりたいことはそれらしかなかったので、時間をかけてゆっくり取り組みました。
完成した時、涙が出ました。
「こんな俺でも出来ることがある」
と気付いて嬉しかったからです。
昔、本で読んで知った言葉が頭に浮かびました。
「物事は、常に成し遂げるまで不可能なように見えるものだ」
というネルソン・マンデラの言葉です。
正に、その通りだと思いました。
「無理だと諦めたものも作り上げることができた、今までの人生もそうだった、何とかやってきたのだから、きっとこれからも大丈夫なのではないか」と希望が持てました。
「やろうという気持ちさえあればできないことなんかない」
と思えました。
こういう考えを持てたことは治療において大きな前進だったと思います。
私は自分自身で心を救うことができました。
私の心を救ってくれたことは他にもたくさんありましたが、1番に心を救ってくれたのは1歳下の妹がLINEで送ってくれた言葉です。
「ひろしくん(妹は私の事を兄ちゃんではなく、ひろしくんと呼びます。仲睦ましいですね!)は今ものすごく辛いかもしれない。自分のことを情けなく思っているかも知れない。けど私はひろしくんが今までどれだけ努力をしてきたか知っている。だから、ひろしくんはどんなになっても私の自慢の兄ちゃんです。」
と送られてきました。
私の心を支えてくれている言葉です。
良く出来た妹ですね!
そんなこんなで休職していた期間の最後の1ヶ月はある程度意欲的に行動することができました。
さらに、自分が何故「うつ病」になったのかを見つめなおし、気持ちが落ち込んだときにどう対処すればいいのか等、経緯や再発防止について考えることが出来ました。
そして私は再度復職することができました。前回と同じように短縮勤務を経て、今では意欲的に仕事に取り組むことが出来ていますし、プライベートも充実しています。
全てが順調だった訳ではありません。
辛いとき、きついとき、不安なとき、色々ありました。
ただ、前回と違ったのは「自分を理解する」ことが出来ていたことだと思います。
弱いと思える自分、情けないと感じてしまう自分が居ても大丈夫。
それらをきちんと受け止めて、一つひとつ対処していく。
どんな弱点や駄目な部分も自分がそれを理解し、受け止めて対処できるのならそれは「個性」だと私は思います。
そう思えたから今の自分はここに居るのだと思います。
弱さを受け入れることで強くなれたと思っています。
一般的に「うつ病」になったことは人生においてマイナスの出来事なのかも知れません。
最中はとても辛かったですし、人生を諦めました。
ですが、今の私はそうは思いません。
ひとついい経験ができた、プラスだったと思っています。
先ほど話したように、自分を理解することが出来ました。
不安や辛い気持ちを和らげる術を身につけました。
一つひとつの感情に意味があるのだと、それが生きている証だと気付くことができました。
自分が思っているよりもたくさんの人が自分を支えてくれていると知りました。
辛い経験は私の感情を豊かにしてくれました。
色んな痛みを知ったことで人の気持ちを思いやり、推し量ることができるようになりました。
ありふれて見えることも当たり前ではないことを知りました。
人生の底(その時の自分にとって)を知ったことで、色んな幸せに気付くことが出来ました。
支えてくれる人がいること、家族とふれあえること、友達と遊べること、ご飯がおいしいと感じられること、ぐっすり寝ることができること、元気に会社に行けること、笑っていられること、嬉しいと感じられること、楽しいと感じられること。
どれも一つひとつは小さなことかも知れません。
ですが、その一つひとつの幸せに気付けたことはとても大きなことだと思います。
「うつ病」になったことは確かに辛い経験でした。
だけど、この経験から得たものもたくさんあります。
「どんなマイナスもいつかはプラスに変えることができる」
今ではそう思えます。
私は自分のような思いを他の誰にもして欲しくありません。
ここに居る皆さんはもちろん、ここに居ない皆さんの周りの人たちにも。
苦しいことを我慢している人は居ないでしょうか?
我慢しないでください。
無理をすることと、我慢することは違います。
辛いことから逃げてはいけないと思っていないでしょうか?
逃げるという決断はとても勇気のある決断です。
自分の中に目的が見えたのなら、それは立派な選択です。(ただ目的も無く逃げてばかりでは駄目だと思いますが)
自分には関係ない、そうかも知れません。
ですが、あなたの周りはどうでしょうか?
苦しんで、助けを求めて、声にならない声を出している人はいないでしょうか?
どうか、その人たちの声に耳を澄ませてください。
ですが、助けようとかは思わないでください。
残念ながら、その人たちにあなたの声は届かないかも知れません。
あなたの言葉に救われる人もいるかも知れません。
だけど、あなたの言葉をプレッシャーに感じて自分を追い込んでしまう人もいるかも知れません。
なら、何をすればいいのか。
ただ、そばに居てください。
その人の心の声をきいてください。
悩みを抱えている人を前に私たちは無力です。
その人の気持ちはその人にしか分からないからです。
同じ経験をして、同じ環境に居ない限り理解することは難しいでしょう。
だけど、心を寄り添わせることは出来ると思います。
温かさを届けることは出来ると思います。
私が自分の過去を話そうと思ったのは、同情して欲しいからではありません。
暗い過去です。
原稿を打ちながら当時を思い出してしまい涙が出てきました。
それでもこうして話すことを決断したのは、先ほど話したように、自分のような思いを他の誰にもして欲しくないという思いもありますが、自分の幸せに繋がるのではないかと考えたからです。
ほんの少しでも誰かに力添え出来るなら、誰かのこれからの笑顔をまもれるなら、誰かの幸せに協力出来たのなら、それは私の周りで幸せが増えたことになり、私の幸せに繋がります。
私は誰もが幸せに感じられる世の中になればいいな、と思います。
ですが、人1人が出来ることには限界があるでしょう。
1人で世の中を変えるなんて無理です。
ならばせめて、自分の手が、声が届く範囲では幸せであって欲しい(それが自分の幸せにも繋がる)。
私は控えめな人間でもないので、その範囲は広げていきたいと思っています。
範囲を広げようと手を伸ばせば、怪我をするかも知れません。
大きな範囲に声を届けようとすれば、声は枯れるかも知れません。
何もしなければ、怪我もしないだろうし、声も枯れないでしょう。
今回皆さんの前で話したこともそうですが、私はこうやって行動することによって自分が「うつ病」になった過去に意味を感じることが出来ました。
私は「うつ病」になった過去に意味を感じ続けたいです。
無意味なものにしたくありません。
だから私は行動するのです。
最後に、幸せとは未来にあるものだけではなく、過去にも散らばっているものだと私は思います。
これまでの自分、自分の周りにあったものを見つめてみてください。
きっと豊かな気持ちになれると思います。
小さな幸せに気付くこと、それは大きな幸せです。
皆さんの幸せを願って、私の話を終えたいと思います。
長くなりましたが、私の話に耳を傾けて頂き、ありがとうございました。